「日本の経常収支の動向と為替相場」
2022年9月22日
「海外からの入国者数上限を1日2万人から5万人に引き上げ」――。
日本政府は9月7日から新型コロナウイルスの水際対策を緩和し、入国者数の上限引き上げや添乗員無しパック旅行での入国も可能としました。資源価格高騰で日本の貿易赤字は大幅拡大すると同時に、パンデミックで日本の旅行収支の黒字は激減し、円安要因の一つとなっていますが、日本の経常収支黒字の縮小傾向は今後変化していくのでしょうか。
国際収支統計の基礎知識
初めに経常収支についておさらいします。
国際収支統計とは居住者と非居住者の間で行われた経済取引を記録した統計です。国際収支は主に「経常収支」「資本移転等収支」「金融収支」の3つから構成されます。今回のコラムでは「経常収支」に焦点を当てます。「金融収支」は金融資産・債務の取引を差し引きしたものです。居住者と非居住者の間での、M&Aなどの企業買収に絡んだ取引や、株式・債券などの証券の売買取引などが金融収支に計上されます。なお、「資本移転等収支」は日本においてはあまり大きな金額ではないため、ここでは説明しません。
経常収支は、「貿易・サービス収支」「第一次所得収支」「第二次所得収支」の3項目から成ります。モノの輸出入を差し引きした貿易収支や、旅行や知的財産権の使用料などのサービス収支は実感しやすいと思います。第一次所得収支は海外投資から得た利子・配当などで、第二次所得収支は政府や民間の海外資金援助などを指します。
平たく言うと、経常収支は「海外からの稼ぎ」と理解するとわかりやすいでしょう。経常収支黒字が大きいということは、海外からの稼ぎが大きいということですので、その国の通貨のプラス材料となります。
縮小する日本の経常黒字
さて、日本の経常収支の過去からの推移を見てみると、長年にわたって黒字が継続していますが、2011年頃から黒字が縮小する動きがみられるようになりました。図1に示したように、日本の巨額の対米輸出が問題視された1980~90年代は、「海外からの稼ぎ」というとほぼ貿易黒字で占められていました。一方で、当時は貿易不均衡是正が叫ばれ、円高圧力が高まっていました。そのため、日本の企業は円高対策として生産拠点を海外に移転すべく、「直接投資」という形で海外に子会社を設立しました。その結果、経常収支の内訳が貿易黒字から第一次所得収支の黒字(=投資収益)へシフトすることとなりました。国内でモノを生産して輸出で稼ぐのではなく、生産は海外子会社が行いそこで上がる利益が配当という形で国内の親会社に還流するようになったわけです。
(出所:INDB-Accelのデータより作成)
そして2011年、原子力発電所停止による燃料輸入増加を背景に貿易収支は赤字に転落しました。2015年以降は、貿易収支がほぼ均衡するようになり、「経常収支黒字≒第一次所得収支」という状態になりました。
しかし、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻以降、エネルギー価格が高騰したことで日本の輸入総額が増加し、今年上半期を見ると、貿易赤字が拡大、経常収支は投資収益が安定的に推移していることでかろうじて黒字を維持する状況です。
このことから、「日本が海外から稼げなくなった」として、日本経済の先行きを悲観し、円安に歯止めがかからないという意見が聞かれるようになっています。
価格はいずれ均衡する方向へ
確かに生産拠点が海外シフトしたことで、足もとの円安を輸出増加に活かすことができていません。図2に示したように、1998年・2002年・2007年に円安に振れた場面では、やや遅れる形で貿易黒字が増加しましたが、今年はまだ貿易収支改善が見えていません。
(出所:INDB-Accelのデータより作成)
1998年以来の大幅な円安水準にも関わらず、それを国際競争上の優位に利用できていない要因として、新型コロナウイルスがかなり影響していると筆者は考えています。
一般に、自由に貿易取引ができ、かつ、自由に移動できる経済圏においては、国内と海外の価格に大きな格差が発生すると、高い価格が忌避され安い価格が求められることで格差が縮小するはずです。物価高に苦しむ米国に、日本の製品を円安で安く輸出できれば、米国では物価高抑制に、日本では貿易収支改善に繋がり「Win-Win」です。しかし、足もとでは、日本政府は海外からの入国を制限していることで、サービス収支の一角を占める旅行収支が黒字を伸ばすことができていません。加えて、中国のゼロコロナ政策による都市封鎖で中国の工場で生産される部品供給が滞り、日本国内の生産活動が抑制されていることも、影響していると思います。
そんな中で日本政府が新型コロナの水際対策を緩和しました。直ちに効果が目に見えるようにはならないでしょうが、これまで一方的に貿易赤字が拡大し、経常収支黒字が縮小してきた動きに変化が現れる可能性があります。そうなると、円安傾向にも歯止めがかかるのではないでしょうか。もちろん、日米金利差という円安ドル高要因があるため、慎重に見極める必要がありますが、円安を止める要因が復活するかどうか、新型コロナ対策と絡めて注視しておくべきでしょう。
(三井住友信託銀行マーケット企画部 瀬良礼子)
《本資料は執筆者の見解を記したものであり、当社としての見通しとは必ずしも一致しません。本資料のデータは各種の情報源から入手したものですが、正確性、完全性を全面的に保証するものではありません。また、作成時点で入手可能なデータに基づき経済・金融情報を提供するものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。投資に関する最終決定はお客様ご自身の判断でなさるようにお願い申し上げます。》
執筆者紹介 瀬良 礼子 せらあやこ
三井住友信託銀行マーケット・ストラテジスト
1990年に京都大学法学部卒業後、三井住友信託銀行に入社。公的資金運用部にて約6年間、受託資産の債券運用・株式運用・資産配分業務に携わった後、総合資金部で自己勘定の運用企画を担当。以後、現在にいたるまで、為替・金利を中心にマーケット分析に従事。
執筆者関連書籍のご紹介
「投資家のための金融マーケット予測ハンドブック(NHK出版)」
「60歳までに知っておきたい金融マーケットのしくみ(NHK出版)」
※NHK出版のWEBページに移動します。