「日銀は追加利上げのタイミングを探る」
2024年9月26日
「金融緩和度合いを調整していくという基本的な姿勢には変わりがない」――。
8月23日に国会閉会中審査において、植田日銀総裁はこのように述べました。もちろん「経済・物価見通しがおおむね実現していく姿になっていけば」という前提を示したうえです。
日銀の利上げ方針は継続している
日銀は7月31日に利上げを実施し、声明文において「今回の『展望レポート』で示した経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになる」と表明しました。その方針は冒頭の8月23日の植田総裁の発言にも引き継がれており、8月上旬の金融市場の急変を経ても変わっていません。
4月30日に日銀が公表した「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」では、「(展望レポートのような)経済・物価の見通しが実現し、基調的な物価上昇率が上昇していくとすれば、金融緩和度合いを調整していくことになる」と表現されていましたが、7月31日に日銀が公表した金融市場調節方針には、「引き続き政策金利を引き上げる」という表現が追加され、より具体的に利上げ継続方針を示した形になりました。
しかし、その直後の8月上旬に株価が急落、為替市場では円が急伸しました。
これは日銀が7月末に予想外の利上げに踏み切ったためではないかと指摘する声もありますが、最大の要因は8月2日の米国の雇用統計が弱い内容だったことではないかと見ています。実際、債券市場参加者を対象に8月27~29日に調査された「QUICK月次調査<債券>」では、日銀の影響について回答者の36%が2割程度、30%が4割程度としています。
とはいえ、金融市場が不安定な動きをする懸念はあるため、8月23日に植田総裁は「当面は高い緊張感を持って市場動向を注視するとともに、経済・物価見通しあるいはそのリスクにどういう影響があるか、丹念に見ていきたい」と発言し、金融市場の急変に直接対応するのではなく、それが経済・物価見通しに与える影響を考慮するとして、冷静な姿勢を示しました。
政策金利を引き上げても水準はまだ低い
日銀の利上げ方針は継続しているわけですが、8月23日の国会閉会中審査では、「中小企業の賃上げの持続性に不透明性が高いのに追加利上げは時期尚早」との批判が出されました。
植田総裁は「利上げ後でも金融政策は十分緩和的である」とも発言していますが、ここで整理しておきたいのは、「政策金利の方向」の観点と、緩和的かどうかという「政策金利の水準」の観点です。
図1は日銀の政策金利と消費者物価(CPI)上昇率(除く生鮮食品)の推移を示したものです。日本がまだデフレに陥る前の1990年代前半は、政策金利が物価上昇率を上回っていましたが、1990年代後半に複数金融機関が破綻し、その後、深刻化するデフレへの対応で金融緩和を進めてきた結果、足もとでは政策金利は非常に低い水準にありながら、物価上昇率はそれを大きく上回っています。
(図1)日銀政策金利と物価上昇率
(出所:Bloombergのデータより作成)
もちろん、1997年・2014年の消費税率引き上げ時や2008年のエネルギー価格高騰時に短期間で物価上昇率が政策金利を上回る場面はありました。しかし、2022年4月にCPI(除く生鮮食品)上昇率が2%を超えて以降2年以上にわたって2%以上の物価上昇率が継続しています。それに対し、日銀は今年3月にマイナス金利解除、7月に追加利上げを実施しましたが、政策金利は依然としてかなりの低水準に維持されていると言えるでしょう。
ちなみに、8月28日に氷見野日銀副総裁は「現状はかなり緩和的な金融環境にある」と発言しており、利上げをしても状況は緩和的であると示唆しています。
植田総裁も8月23日に「7月の利上げは中立金利より下の緩和的状況での金利調整だ」として、政策金利の方向と水準を整理しています。中立金利とは、緩和的でも引き締め的でもない金利水準を指しますが、植田総裁は「理論的にはインフレ率2%と実質金利を加えたものになるが、自信をもって示せる状況ではない」として、明言を避けています。実質金利をどのように計測するのか、明確に示せるものではないためです。少なくとも、7月の利上げは中立金利よりも下での調整と指摘しています。
中立金利が物価安定の目標の2%に近いのか、それよりも低いところにあるのか、判然としない状況ですが、冒頭の植田総裁の発言にある通り、まだ利上げの余地はあるというのが日銀の見解でしょう。
国民経済の健全な発展
日本銀行法の第2条に「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と定められています。日銀は「2%の物価安定の目標」を目指しているわけですが、それが「国民経済の健全な発展」に繋がらないと意味がありません。ですので、物価上昇率が高いというだけで、次々と利上げを行うわけではなく、経済成長の状況に配慮しながら決定されます。
日本経済は1989年の平成バブル崩壊以降、「失われた30年」と呼ばれるように、長期にわたって低迷期が続きました。図2は日本の名目・実質GDP(国内総生産)の推移を示したものですが、上段グラフの名目GDP水準が1997年10~12月期をピークに約20年間最高値を更新できませんでした。
(図2)日本のGDPの推移(季節調整済・年率換算)
(出所:INDB-Accelのデータより作成)
物価の影響を除いた実質GDPは緩やかながらも上昇傾向が維持されていましたが、デフレによって名目GDPは横ばいが継続しました。2013年4月に日銀が異次元緩和に踏み切り、さらに4年後の2017年1~3月期にようやく名目GDPは最高値を更新しています。
足もとの状況は、物価上昇率が高まったことで名目GDPはついに600兆円を超えました。これは2015年に当時の安倍首相が目標とした水準です。
しかし、問題は足もとで実質GDPの伸びが弱いことです。「国民経済の健全な発展」の観点で、日銀の利上げの判断は慎重にならざるをえないでしょう。名目GDP・実質GDP、双方が上向くことが健全な発展ではないでしょうか。そのため、日銀は立て続けに利上げをするのではなく、景気動向をしっかりと見極め、利上げによって景気が悪化しないように、時間をかけてタイミングを探っていくと思われます。
これから日米ともに政治面で大きな変化を迎えようとしています。また、米国では景気後退懸念が強まっており、日銀にとっては難しい舵取りを迫られる局面に差し掛かっています。日銀は利上げを継続する方針を示してはいますが、その時期は2025年以降に先送りされるかもしれません。
(三井住友信託銀行マーケット企画部 瀬良礼子)
《本資料は執筆者の見解を記したものであり、当社としての見通しとは必ずしも一致しません。本資料のデータは各種の情報源から入手したものですが、正確性、完全性を全面的に保証するものではありません。また、作成時点で入手可能なデータに基づき経済・金融情報を提供するものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。投資に関する最終決定はお客さまご自身の判断でなさるようにお願い申し上げます。》
執筆者紹介 瀬良 礼子 せらあやこ
三井住友信託銀行マーケット・ストラテジスト
1990年に京都大学法学部卒業後、三井住友信託銀行に入社。公的資金運用部にて約6年間、受託資産の債券運用・株式運用・資産配分業務に携わった後、総合資金部で自己勘定の運用企画を担当。以後、現在にいたるまで、為替・金利を中心にマーケット分析に従事。
執筆者関連書籍のご紹介
「投資家のための金融マーケット予測ハンドブック(NHK出版)」
「60歳までに知っておきたい金融マーケットのしくみ(NHK出版)」
※NHK出版のWEBページに移動します。