第7回 大賞作品
竹の中の蜂蜜 久家 祥子(福岡県 32歳)

眩しい探検隊
選定委員:穂村 弘(歌人)
「竹の中の蜂蜜」は不思議な話である。「竹の節の間には蜂蜜がたっぷりつまっている」というのは、作者の久家さんの言葉を借りると幼い頃の「誤認識」ということになる。云い換えるなら、錯覚、思い込み、勘違い……、にも拘わらず、それこそがかけがえのない「わたし遺産」だという。今までに何百篇もの応募作を読んできたが、そういう発想のものはなかったと思う。「学校の帰りに花の蜜を吸ったりしてたんです。一方で、竹の中に空間があるのは知ってたから、頭の中でそれが混ざってしまったのかも」
「だけど、実際にお友だちと山に行って、竹の中身を見たら空っぽだったでしょう?」
「ええ。でも、しまった、一歩遅かった、誰かが先になめてしまった、って思って……」
面白いなあ。久家さんがお書きのように、スマートフォンの普及によって、我々の日常からは失敗や空振りや無駄足が減った。レストランに入る前にはお店の情報をチェックして、万が一にも外さないようにする。でも、なんだかもやもやする。私たちは失敗を怖れ、コスパを気にして、どんどん臆病になっているんじゃないか。幻の「竹の中の蜂蜜」を求めて山に向かった小さな探検隊は失敗した。空振りだった。無駄足だった。汗だくで、虫に刺されて、でも、彼らは滅茶苦茶にときめいていたのだ。その輝きに羨ましさを感じる。
「だけど、実際にお友だちと山に行って、竹の中身を見たら空っぽだったでしょう?」
「ええ。でも、しまった、一歩遅かった、誰かが先になめてしまった、って思って……」
面白いなあ。久家さんがお書きのように、スマートフォンの普及によって、我々の日常からは失敗や空振りや無駄足が減った。レストランに入る前にはお店の情報をチェックして、万が一にも外さないようにする。でも、なんだかもやもやする。私たちは失敗を怖れ、コスパを気にして、どんどん臆病になっているんじゃないか。幻の「竹の中の蜂蜜」を求めて山に向かった小さな探検隊は失敗した。空振りだった。無駄足だった。汗だくで、虫に刺されて、でも、彼らは滅茶苦茶にときめいていたのだ。その輝きに羨ましさを感じる。