三井住友信託スペシャル対談シリーズ
「人生100年時代」を輝かせる、
世界の見方。
世界の見方。
人生100年時代と言われる今、長くなった人生の時間をポジティブに捉え、一日一日の価値を高めていくために。
さまざまなジャンルの方と俳優 佐藤浩市さん・木村文乃さんとの対談を通じて、
新しい時代の生き方について、前向きな視点や考え方をお伝えしていきます。
さまざまなジャンルの方と俳優 佐藤浩市さん・木村文乃さんとの対談を通じて、
新しい時代の生き方について、前向きな視点や考え方をお伝えしていきます。

「おばあさん」は私にとって
最高に魅力を感じるヒロイン。
最高に魅力を感じるヒロイン。
老いを主題に置くことで、新しい時代の女性の生き方が見えた
佐藤 : まず先生の著作の話から入ろうかなと思うんですけれども。初めてお書きになった小説『おらおらでひとりいぐも』で、どうして老境の桃子さんをヒロインに設定されたんですか。
若竹 : 私は、おばあさんというのがとても魅力的な存在だと思っていて。なぜかというと、何でもボタン一つで便利になった世の中で、今とても生活と密着して生きることが少なくなってきていますよね。それでも、女の人は、子どもを育てたりお茶碗を洗ったり洗濯したり、具体、具体の積み重ねの中で生きている。それがおばあさんになって、妻とか母とか、そういった役割から解放され、本当に自分の思いのままに生きる時間を得た時に、どのように考えるかというのがテーマだった気がします。若い時の恋愛とか具体的な経験は、言ってみれば実験だと思っていて、その実験の結果、「生きることはこういうことじゃないのかな」という成案を得る時代でもあるなと思っています。おばあさんが脇役で、若い人にちょっとサジェスチョンを与えるような役割ではなく、老いそのものを主役にした小説を書いてみたいなと。私も、そこに、これから到達するのだから。
佐藤 : 若竹さんの本で面白かったのは、実感としての女性というか。旦那さんが亡くなった寂しさが100のうち90あっても、10はある種の解放を感じる、そこら辺のアナーキズムのようなものが「ああ、女性の本音だな」と、非常に面白かったんです。それがやっぱり、ある種リアリズムなんだろうなと。あと作品の話で、われわれの世界の名作と言われている作品の女性像というのが、どこか男性目線なんですよね。そんなヒロインに求める勝手な男性目線にあらためて気づかせてもらって。ああ、そうかそうか、と発見があったんです。
若竹 : おらはおらに従うというか、自己決定権というのがすごく大事ですよね。男も女も。自分で行動する喜びというのは何物にも代えがたくて。でも、女の人は夫を立てて、ついつい従って。自由の翼というけれど、男の人が1mの翼だったら、女性は95㎝までしか伸ばさずに生きてきたのが、居なくなった途端全開で、1m20㎝(笑)
佐藤 : (笑)
若竹 : そういう自由を手に入れた女の人の解放感、自分の生き方を作っていく時の女の人の強さみたいなものを書きたかった。
若竹 : 私は、おばあさんというのがとても魅力的な存在だと思っていて。なぜかというと、何でもボタン一つで便利になった世の中で、今とても生活と密着して生きることが少なくなってきていますよね。それでも、女の人は、子どもを育てたりお茶碗を洗ったり洗濯したり、具体、具体の積み重ねの中で生きている。それがおばあさんになって、妻とか母とか、そういった役割から解放され、本当に自分の思いのままに生きる時間を得た時に、どのように考えるかというのがテーマだった気がします。若い時の恋愛とか具体的な経験は、言ってみれば実験だと思っていて、その実験の結果、「生きることはこういうことじゃないのかな」という成案を得る時代でもあるなと思っています。おばあさんが脇役で、若い人にちょっとサジェスチョンを与えるような役割ではなく、老いそのものを主役にした小説を書いてみたいなと。私も、そこに、これから到達するのだから。
佐藤 : 若竹さんの本で面白かったのは、実感としての女性というか。旦那さんが亡くなった寂しさが100のうち90あっても、10はある種の解放を感じる、そこら辺のアナーキズムのようなものが「ああ、女性の本音だな」と、非常に面白かったんです。それがやっぱり、ある種リアリズムなんだろうなと。あと作品の話で、われわれの世界の名作と言われている作品の女性像というのが、どこか男性目線なんですよね。そんなヒロインに求める勝手な男性目線にあらためて気づかせてもらって。ああ、そうかそうか、と発見があったんです。
若竹 : おらはおらに従うというか、自己決定権というのがすごく大事ですよね。男も女も。自分で行動する喜びというのは何物にも代えがたくて。でも、女の人は夫を立てて、ついつい従って。自由の翼というけれど、男の人が1mの翼だったら、女性は95㎝までしか伸ばさずに生きてきたのが、居なくなった途端全開で、1m20㎝(笑)
佐藤 : (笑)
若竹 : そういう自由を手に入れた女の人の解放感、自分の生き方を作っていく時の女の人の強さみたいなものを書きたかった。
あとがきだと思っていた日々は、とっておきの最終章だった
若竹 : 今、老いというのは子ども時代をはるかに凌駕する長さですよね。30年ぐらい普通にね。60から数えても、90ぐらいまで30年。それを何も考えないでむざむざ老いに突入してというのだったらもったいないなと。今、高齢化社会と言われる中で、胸を張って老いを楽しく生きるということが「すみません」みたいな雰囲気があったとしたら、やっぱり嫌だし。どう老年期を生きればいいのだろうかというのは、本当に私の課題でもあるんですよ。例えば自分の足の不調とか何とか考えると、本当に否定的なことも考えざるを得ないんだけれども。いろんな困難はだんだん分かってきているの。桃子さんを書いていた時よりも、もっとね。
佐藤 : そうですよね。体が弱ると、いろいろ気持ちの部分も。
若竹 : もちろん老いは孤独だし寂しいけれど、やっぱり、老いることの楽しみとか、分からなかったことが分かることの喜びが確かにある、というのかな。自分の生き方を腹に収める老年の時間、「生きることはこういうことじゃないのかな」という成案を得る、そんな自己完成の時期なのかもしれませんね。孤独=マイナスじゃなくて、もっと楽しくて深いものがあるんだなというのが、私の人生観かな。佐藤さんは孤独ってどう思いますか。
佐藤 : 僕も意外に1人が平気なんですよ。台本とにらめっこしながら「こういうやり方もあるんじゃないか」「いやいや、これはちょっとトゥーマッチだろう」とか、そういう対話は自分の中であって。孤独というよりは1人慣れですね。孤独を懐柔したとか、そういうことではなく。いきなり1人になっちゃうと弱いと思うんです。そういうことに対して何か心の準備ってできるのかもしれませんね。
若竹 : ああ、なるほど。私は若い頃から、やっぱり人間って孤独なものなんだなって。夫婦で居た時だってそう思っていたの。私が若い頃だって、決して夫と仲悪いわけじゃなくて、だけれども、やっぱり1人の時間が好きでしたね。「行ってらっしゃい」って送り出した後、しめた、という感じは(笑)。だから、ある意味老いというのは24時間、100%私の時間という自由がありますね。
佐藤 : 弱る時もたくさんあると思うんですけれども、新しいことに挑戦したり、前向きな気持ちを持ち続けるための何か考え方みたいなことってありますか?
若竹 : 好きなことをとことんやることじゃないのかな。若い頃は、私だって野心家だったの。
佐藤 : そうなんですね(笑)
若竹 : 書いた文章がすぐ小説になるかもとか、そう思っていて。だけれども、できないから、すごい自分を責めたり。でも、「私にはものを書くことがあるから」とかって思ったり。本当に小説ということが私にとっては優越感だったり、自己否定だったの。でもある程度歳をとったら、野心みたいなものなんか案外どうでもいいというかね。私と小説だけの関係になったら、「本当に好きなんだな、私」みたいな。だから、やっぱり幸せだったことは、好きなことがどういうわけかずっと一貫して書くことだったということで。
佐藤 : いわゆる職業作家ではなかったけれども、欲望を手放したら賞を取って、職業作家としてこれから生きていかれるわけですよね。
若竹 : それこそ映画だったら「完」ってなったのに、さらに私の作家としての人生は続きますって(笑)。でも、迷いつつですが、やっぱりまだ私は書けるものがあるな、とやっとこの前ちょっと見つけたかな。でも、それはもう人に期待されてじゃなくて、自分の書きたいことを書いていていいんだな、という気持ち。野心はなかったとは言いながら、でも、やっぱりどこかで「私を見て」みたいな気持ちもあったかな。いちいち矛盾してますね(笑)。1人の人間の中にいろんなものが内包されていて、そういう人間の奥深さみたいなものを書けたらいいよね。私の老いと一緒に書いていこうかなと。
佐藤 : そうですね。
若竹 : 佐藤さんはずっと役者として生きてこられていますけれども、この先、何か違うことをやりたいなという思いはありますか?
佐藤 : 親が役者をやっていたということで、たまたまそこに入り口があったということだけだったので、果たして本当に素養があったかどうかも分からないし。たまたまやってこられたというのは運だなと。作品との出会いというのは僕はそういうことだと思っていますし。僕らの場合は、1から作るんだけど、ゼロからではないんです。でも、先生の作品はゼロからじゃないですか。
若竹 : うーん、どうだろう。
佐藤 : たぶんその違いだと思うんですけどね。僕は今、何もできてなかったなとはよく思いますよ。もし他の仕事をやっていたとすればね。何ができたかなと。料理は作るのは嫌いじゃないから、居酒屋のおやじかな、とかね。たまたまこの仕事を選んでよかったなと。えがった、えがった、というだけです(笑)
若竹 : 才能と、もちろん努力もあって。でも、お好きなんですよね。
佐藤 : 好きだと思って始めましたけどね。でも、本当に好きだったかどうかは分からないです。
若竹 : ああ、確かに。私も好き好きって思いながら、「もう、こんなのに振り回されたばっかりに」と思ったこともあるもん。
佐藤 : そうしたら、選ぶということですかね。コミットメントというか。
若竹 : 1つ選ぶということは、その他大勢のものを断念しながらしかしょうがないよね。
佐藤 : そうですよね。体が弱ると、いろいろ気持ちの部分も。
若竹 : もちろん老いは孤独だし寂しいけれど、やっぱり、老いることの楽しみとか、分からなかったことが分かることの喜びが確かにある、というのかな。自分の生き方を腹に収める老年の時間、「生きることはこういうことじゃないのかな」という成案を得る、そんな自己完成の時期なのかもしれませんね。孤独=マイナスじゃなくて、もっと楽しくて深いものがあるんだなというのが、私の人生観かな。佐藤さんは孤独ってどう思いますか。
佐藤 : 僕も意外に1人が平気なんですよ。台本とにらめっこしながら「こういうやり方もあるんじゃないか」「いやいや、これはちょっとトゥーマッチだろう」とか、そういう対話は自分の中であって。孤独というよりは1人慣れですね。孤独を懐柔したとか、そういうことではなく。いきなり1人になっちゃうと弱いと思うんです。そういうことに対して何か心の準備ってできるのかもしれませんね。
若竹 : ああ、なるほど。私は若い頃から、やっぱり人間って孤独なものなんだなって。夫婦で居た時だってそう思っていたの。私が若い頃だって、決して夫と仲悪いわけじゃなくて、だけれども、やっぱり1人の時間が好きでしたね。「行ってらっしゃい」って送り出した後、しめた、という感じは(笑)。だから、ある意味老いというのは24時間、100%私の時間という自由がありますね。
佐藤 : 弱る時もたくさんあると思うんですけれども、新しいことに挑戦したり、前向きな気持ちを持ち続けるための何か考え方みたいなことってありますか?
若竹 : 好きなことをとことんやることじゃないのかな。若い頃は、私だって野心家だったの。
佐藤 : そうなんですね(笑)
若竹 : 書いた文章がすぐ小説になるかもとか、そう思っていて。だけれども、できないから、すごい自分を責めたり。でも、「私にはものを書くことがあるから」とかって思ったり。本当に小説ということが私にとっては優越感だったり、自己否定だったの。でもある程度歳をとったら、野心みたいなものなんか案外どうでもいいというかね。私と小説だけの関係になったら、「本当に好きなんだな、私」みたいな。だから、やっぱり幸せだったことは、好きなことがどういうわけかずっと一貫して書くことだったということで。
佐藤 : いわゆる職業作家ではなかったけれども、欲望を手放したら賞を取って、職業作家としてこれから生きていかれるわけですよね。
若竹 : それこそ映画だったら「完」ってなったのに、さらに私の作家としての人生は続きますって(笑)。でも、迷いつつですが、やっぱりまだ私は書けるものがあるな、とやっとこの前ちょっと見つけたかな。でも、それはもう人に期待されてじゃなくて、自分の書きたいことを書いていていいんだな、という気持ち。野心はなかったとは言いながら、でも、やっぱりどこかで「私を見て」みたいな気持ちもあったかな。いちいち矛盾してますね(笑)。1人の人間の中にいろんなものが内包されていて、そういう人間の奥深さみたいなものを書けたらいいよね。私の老いと一緒に書いていこうかなと。
佐藤 : そうですね。
若竹 : 佐藤さんはずっと役者として生きてこられていますけれども、この先、何か違うことをやりたいなという思いはありますか?
佐藤 : 親が役者をやっていたということで、たまたまそこに入り口があったということだけだったので、果たして本当に素養があったかどうかも分からないし。たまたまやってこられたというのは運だなと。作品との出会いというのは僕はそういうことだと思っていますし。僕らの場合は、1から作るんだけど、ゼロからではないんです。でも、先生の作品はゼロからじゃないですか。
若竹 : うーん、どうだろう。
佐藤 : たぶんその違いだと思うんですけどね。僕は今、何もできてなかったなとはよく思いますよ。もし他の仕事をやっていたとすればね。何ができたかなと。料理は作るのは嫌いじゃないから、居酒屋のおやじかな、とかね。たまたまこの仕事を選んでよかったなと。えがった、えがった、というだけです(笑)
若竹 : 才能と、もちろん努力もあって。でも、お好きなんですよね。
佐藤 : 好きだと思って始めましたけどね。でも、本当に好きだったかどうかは分からないです。
若竹 : ああ、確かに。私も好き好きって思いながら、「もう、こんなのに振り回されたばっかりに」と思ったこともあるもん。
佐藤 : そうしたら、選ぶということですかね。コミットメントというか。
若竹 : 1つ選ぶということは、その他大勢のものを断念しながらしかしょうがないよね。
人生最後に愛せる人は、自分自身でありたい
若竹 : 私の考えでは、人は、人を愛するんじゃなくて、自分を愛することを学ぶために生まれてきた感じがするんです。そして自分を愛するためには孤独という自分を内省する時間が必要だと。若い頃は、自分が好きだって思っていても、それは「期待する自分」なんですよね。こうなりたい自分が好きなのであって。そのうちに自己犠牲というか、誰かのために生きるのが「立派な生き方」になってしまう。本当は掛け値なしの自分を愛することが一番難しいことだし、100持っていたかったけれど10しか持っていない自分を認めてあげることが一番難しい。やっぱり最終的には人と比較しないで、自分のことを認めて愛してやることが、私にとって、一番生まれてきた意味かな。そういうふうに考える。
佐藤 : それは、老年期に小説と自分だけの世界になってきたみたいなことにも通じますね。
若竹 : そうですね。青春小説というのは、何者かになりたいんだけれどもなれない自分に焦燥を感じる物語。本当に人の評価が欲しい時代って、若い時なんですよね。だけど、歳をとったらそんなことはどうだってよくて、とにかく自分の歩んできた道を何となく納得したいの。
佐藤 : 自分のことを大事な人はいっぱい居るんだけど、自分のことを好きになるってなかなか難しいですよね。
若竹 : ああ、確かに。ほんとそうですね。星座って、いっぱいある星のいくつかをつなぎ合わせて「あ、ひしゃくのかたちだ」とかってやるでしょう。ああいう感じで、自分の人生の中で起きたことを線で結んだら一つの一貫性みたいなものが見つかって「ああ、私はこのことについて考えてきた、学んだ人生かな」って。人生の主人公は自分だと、これまで歩んできた道を何となく納得する時っていうのは、とても慕わしいというか。そんな感じですね。
佐藤 : それは、老年期に小説と自分だけの世界になってきたみたいなことにも通じますね。
若竹 : そうですね。青春小説というのは、何者かになりたいんだけれどもなれない自分に焦燥を感じる物語。本当に人の評価が欲しい時代って、若い時なんですよね。だけど、歳をとったらそんなことはどうだってよくて、とにかく自分の歩んできた道を何となく納得したいの。
佐藤 : 自分のことを大事な人はいっぱい居るんだけど、自分のことを好きになるってなかなか難しいですよね。
若竹 : ああ、確かに。ほんとそうですね。星座って、いっぱいある星のいくつかをつなぎ合わせて「あ、ひしゃくのかたちだ」とかってやるでしょう。ああいう感じで、自分の人生の中で起きたことを線で結んだら一つの一貫性みたいなものが見つかって「ああ、私はこのことについて考えてきた、学んだ人生かな」って。人生の主人公は自分だと、これまで歩んできた道を何となく納得する時っていうのは、とても慕わしいというか。そんな感じですね。