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シンジル&タクセル
三井住友信託スペシャル対談シリーズ
「人生100年時代を輝かせる、
世界の見方。
人生100年時代と言われる今、長くなった人生の時間をポジティブに捉え、一日一日の価値を高めていくために。
さまざまなジャンルの方と俳優・佐藤浩市さんとの対談を通じて、
新しい時代の生き方について、前向きな視点や考え方をお伝えしていきます。
今回は俳優であり親子である、佐藤浩市さん、寛一郎さんに
お2人と親しい映画監督の阪本順治さんがインタビューする、プレミアム対談。
人生100年時代の家族のつながりと、受け継いでいくものについてお伺いします。
ずっと背中を見てきた君と、
たまには並んで話をしようか。
俳優として、親子として
離れたり、近づいたりしながら歩いていく。
― こうやって親子として並んでいるのを見るのは初めてだけど、佐藤浩市という名を伏せて俳優になりたいと言っていた寛一郎君は、もう吹っ切れた感じ?
寛一郎 : どうですかね…最初はありましたけどね。美学として。でも、そこはもう、許してくれないよね、って理解してますし。
浩市 : 避けては通れないからね。かといって、そういう意識があるのとないのとでは…要するに、1人の人間として腑に落ちるか落ちないかという、そこを意識するのは、やっぱり表現をやっていく人間にとっては差があるんじゃないのかなと。
― 現場に寛一郎君をよく連れて行ったのは、父親として何か感情があった?
浩市 : よく言う、自分の背中を見てもらう、自分が何をやっているかをわかってもらうということが一番わかりやすいと思うんだけど。僕自身、三國に1つだけ感謝しているのは、現場を見せてくれたことだったから。僕がどういうところで何をやってるのかというのを見ておくことで、彼がもし人様にいろんなことを言われたとしても、それなりに自分でちゃんとしたガードはできるな、と。あとは、現場を知っておくのは、結果、将来この子が何かをする時に、決して損にはならないなと。
― 寛一郎君は俳優になって初めて父親について気付いたことってあります?
寛一郎 : 難しいですね。生意気なんですけど、分かってたんです、やる前から。人間性としてすごく近しいものがあるし…影響を受けてきた部分もあるし、ある程度分かっていたけど、自分がいざやるとなると、話は変わってきますよね。彼と僕にある距離というものが、やっとボヤッと「このぐらいなのかな」って見えてきた感じはありますけど。
― 俳優って、やるべき仕事はカメラの前に立つこと。その姿を、小さい頃から見ているわけだよね。やっぱり手本は親父になる?
寛一郎 : そうですね。役が実人生に影響を及ぼす場合が多いじゃないですか。深く考えて深く入り込む人だったので。反面教師としても、それが家庭に影響を及ぼしてしまうのは、すごく難しいなと思っていて。家族だったので、一緒に居なきゃいけなかったので、しょうがないことではあるんですけど。
浩市 : たぶん彼が小さい頃、僕が40前後なわけじゃない。やっぱり演者として一番難しい時なんだよね。のちのち反省はするけど、やっぱりどうしても役を持って帰っちゃっていた。玄関でちゃんと役を置いて、靴を脱いだらもう忘れる、というのは理想だけど、にじみ出ちゃっていた。
寛一郎 : にじみ出ているのか、出しているのかわからない。
浩市 : 出しちゃいないんだよ。
寛一郎 : (笑)
浩市 : 逆に言えば、反面教師としてだけど、見せられてよかったのかもしれないと今では思うけどね。
言葉では語り合えないことも、映画でなら伝えられた。
― 同じ土壌に居る人間として、いつか凌駕するとか、乗り越えるみたいな気合いってあるの?
寛一郎 : それは僕は…他人に評価されるというよりは、共演した際にお互いが感じるべきことだと思ってるんですけど。そこでどう感じるか、その時になってみないと…1発ぶん殴られるのか、ボコボコにされるのか。そこは楽しい親子ゲンカですよね。
― 寛一郎君が俳優になるって宣言があった時に、積極的に関わっていこうという思いはあった?
浩市 : それはない。
― でもたまに「この映画見とけよ」ってDVD渡したりしてるの、関わっているという感じがするんだけど。
浩市 : ああ(笑)。難しいのは、言葉って100人居たら100通りの受け止め方があるんだよね。
寛一郎 : そうなんですよね。
浩市 : ああ(笑)。言葉で伝えるのって難しいんだよね。こっちはAというつもりで言ってるのに、Bと捉えたりCと捉えたり。だから、映画1本でも「これちょっと見てみろよ」といって、見た時にどういうふうに思うのかなっていう、それが一番、ある種早い。言葉より広がりがあるし、僕にとっては分かりやすいというか、伝えやすいというのがあって。
― 「これ見ておいたほうがいいよ」ってどんな系統の映画を勧められるの?
寛一郎 : 親父が生きてきた80年代90年代の作品が多いです。最近はコロナもあり、家族の時間が増えたから、実家に帰って一緒に映画を見るとか、そういう普通の親子みたいな関係性ができてきたんですけど。昔は、一緒にDVDを見るのが怖くて。なぜなら、感想を聞かれるんですよ。で、「楽しかった」だけじゃ終わらないんです。「何が楽しかったんだ?どう楽しかったんだ?」って。それが言語化できないわけですよ。しかも、カフカとか見るわけですよ。全然分からなくて。それでブチギレられるわけですよ。最近、やっと共通の言語に映画がなってきました。
― ちょっと三國さんも含めた話になりますけど、三國連太郎という名前はデビュー作の木下惠介監督の『善魔』の役名をそのまま芸名にしましたよね。一方で、佐藤浩市というのは本名で。寛一郎という名前は、ちょうど中間というか、まだ考えている最中というか、途中みたいなイメージなんだよね。その3人が血縁なんだけど、こうやって名前を並べてみると、3人の距離感をそのまま表しているなとか思ったんだけど、考えすぎ?
寛一郎 : いや、塩梅としてそうだと思いますね。
浩市 : 僕も昔、最初この仕事を始めた時、40年前、芸名にあこがれるというのもあった。他者になるというか、不確定な要素をこちら側に持ちたいというか。それで、「芸名つけようかな」と三國に言ったら、「芸名をつけるぐらいだったら役者やめたほうがいいんじゃない?」って。
寛一郎・阪本 : (笑)
浩市 : あんたこそ芸名じゃねえかよ、って(笑)。でもどこか説得力があったので、「分かった。じゃあ、僕は本名でやるよ」と言って、本名のまま始めて。寛一郎の時には、ある程度自分自身が何者かって分かってから、そこで佐藤にするか三國にするかでもいいし、また全然違う名前でもいいし。何か自分の中でそういうことを選択すればいいわけだから。そう思いましたね。
― それは相談せず、「佐藤」を外したの?
寛一郎 : そうですね。あんまり名前にこだわってないんですよね、僕個人が。
3代引き継いだのは、皮肉屋の遺伝子。
― 最近、三國さんに何か心の中で声をかけたこととか、言葉をかけたりしました?
浩市 : これが不思議なもんでね。歳とってきて日課になったね。仏壇の前で手を合わせるのが。そんなタイプじゃなかったけど、取りあえず親父に、やっぱり今日も家族みんなの健康、それと、こいつのことはちょっとここでは言えないけど、願いとしてはやっぱりありますね。
― 僕はそういうことやるタイプだと思ってたけどね。
寛一郎 : (笑)
― 寛一郎君は、おじいちゃんの記憶で鮮明に残っていることって何?
寛一郎 : 小学校5年6年ぐらいのとき、ひたすらしゃべってたイメージはありますね。さっぱり何言ってるか分からないんですけど。すごく哲学的なことを言うから。「またしゃべってんな、この人」と思いながら、おもちゃを買ってもらうっていう(笑)
― 寛一郎君が生まれて、三國さんと浩市君の距離が劇的に変わったような気がするんだけど。
浩市 : まあね。対役者としてしかお互い見てなかった。それが、寛一郎という、その後の血が見える、そこに三國がどう接するかなという興味も含めて、こっちは「ああ、この人も普通の人なんだ」と思いながら見ていたわけで。
― 寛一郎君からは父親と祖父の親子関係ってどういうふうに見えてた?
寛一郎 : どうなんですかね。常に僕を媒介にして会話してるのかなというのはありましたけど。2人で話してるんだけど、僕が間に居るみたいな。1回ここを通して話すみたいな。直視する恥ずかしさみたいなものが、たぶんどこかにあって。それを受け流せるポイントというのが僕だったのかもしれないし。
― 三國さんと浩市君の親子関係と、浩市君と寛一郎君の親子関係の、相違と類似って何か言えることがあれば。
浩市 : 簡単ですよ。三國は役者の息子じゃなかった。ただ、役者の息子を持っていた。僕は、親も役者、子も役者。で、彼は親が役者。結局3代、続いているのか続いてないのか分からないけど、両方が分かっているのは今のところ僕だけなので。両方が分かるというのもややこしい。非常に。
― 自分を超えたところで、隔世遺伝みたいなことを感じることはありますか?
浩市 : あると思いますよ。よく言う隔世遺伝のかたちを取って、彼がそういうふうなところを見せてくれたら、それはそれですごく面白いし。それを見たいなという気もするのは、これはもうしょうがない。さがですね。
― 三國さんから浩市君が引き継ぎ、浩市君が寛一郎君に、3代に渡って引き継がれてきているものってある?
浩市 : これは…あるだろうな、やっぱり。たぶんお前も現場で台本開かないだろ?
寛一郎 : 一切開かない。
浩市 : 不思議だよね。別に僕の姿を見ていたわけじゃないのに。
― 例えば言葉の扱い、三國さんのちょっとひねった物言いとか、そういうのは受け継がれているよね。
寛一郎 : どうなんですかね。でも、それも反面教師で。皮肉がすごく上手なんですよ。
それは嫌だなと思いつつ、すごく僕も皮肉がうまくなってくるというか。

浩市 : アイロニーな性格は三國もそうだったじゃない。稀代の皮肉屋さんだからね、あの人は。
― それを何度となく聞いていると、哲学に聞こえてくるわけです。哲学にまで昇華していますよね。反面教師という言葉が多いけど、そのままストレートに良かれと思って受け止めたことも多いわけだよね。
寛一郎 : それはさっき言った、現場でのあり方というか。ちゃんと自分流のプロフェッショナルを持ってやっているところは、僕が何年かやってきた中でも、やっぱりさすがだなと思う部分はある。
― 父子一体の絆という言葉があるとしたら、お互い最も信頼し合えていることって何ですか?
浩市 : これは難しいね。仕事をする時のエクスキューズというのはどんな仕事でもそれなりにあるわけで。できるだけ質を落とさないように、数を減らしながら仕事をするという意識は、三國から僕、僕から彼に、そういうところは見ていてくれてると思うんですけどね。
あまり断った、断ったと言われると、逆に僕が心配になっちゃうけど。

寛一郎 : でも、それと近しいかもしれないです。圧倒的信頼があるのは彼がやってきたことですね。
― 演者を離れての親子関係とか聞こうとしても、結局演者同士の結びつきの話になるよね。
寛一郎 : というか、それがなかったら僕はどうなっていたんだろうって。今、親父としゃべれてたのかな、っていうのはあります。
浩市 : やっぱり同業になることで共通言語を持てるというのは、よかったなと。家督を継ぐ家は大体みんなそうなんじゃないのかな。親と同じ仕事を受け継いだ時に、何となく親との距離感って変わってきたりとか。そんなところで成立しているんだなと僕は思いますけどね。
― 「勉強しろ」だの「就職どうする」とは違うだろうけど、何か親として求めることはあった?
浩市 :違うけど、やっぱり何かはやってくれという。当然何かをやることによって、何か自分の人生に対してプラスになるかどうか、僕には分からないかもしれないけど。俳優って仕事は、何かこいつの人生にとって非常に大きなものを投げかけてくれるかもしれない。そういったことに対しては理解を示してあげたいなとは思いますよね。
― あからさまな反抗期というのはあったの?
寛一郎 : ありましたね。
浩市 : 僕のことすごい嫌いだったと思うよ。
寛一郎 : ほんとに。家に彼が居るっていうのが嫌だったんですよね。何か見抜かれてしまうというか。話をした時にまだ勝てないっていう。自分が言語化できればよかったんですけど、それができない時期ってあるじゃないですか。
― そもそも子どもなんだから勝てないというふうには思えなかったの? やっぱり対等にいたいということがあったんだよね。それは徐々に氷解していったの?
寛一郎 : そうですね、親子というか、人として、純粋に、リスペクトしてますよ、ということが恥ずかしくなくなったんですよね。
― お父さんとしてはその時期どういうふうに見えていた?
浩市 : しょうがないんだろうなっていう。一番多感な頃、もっとも影響がある幼年期に自分が仕事のドロッとしたものを家の中に持ち込んでいたということも含めて、こちらも負い目があるし。今でも廊下にこの子が小さい時に描いた絵を置いてるんだけど「パパいつもありがとう」って書いてあるのを見るたびにこっちは心がズキンと(笑)。本当に申し訳なかった。
寛一郎 : いやいや(笑)。
円熟していく時間が、ふたりをつないでいく。
― 僕同様、老後ということを気にするようになる年齢だけれども、どういうふうに考えてますか?
浩市 : 自分で辞めたと思わない限り・・・三國を見ていてもそうだったけど、そう言いながらしがみつくんだろうなと。表現ということは、オファーがある中で続けていくしかないんだろうなというふうには思いますけどね。
― 一方で、家族の長としてのこれから先の展望というか。
浩市 : それは本当に最低限、自分の健康をどうやって、人並み以上にケアしていくか。自分でできることはちゃんとやろうと。
寛一郎 : ただ体はしょうがなくても、バイタリティーは持っていてほしいなという、息子としての願望はあります。
― そうやって、親が気付かない中で、息子は息子として見ているわけだよね。親子で実際に面と向かって話すことってそんなにないと思うんだけど、どうだった?
浩市 : もしお互いが「お仕事だからさ」という認識のもとに居たらそつなく終わるだろうなと僕は思ってました。でも、お互いなかなかそういうふうには考えられないタイプなので、何とか成立したのかなと。そつなくしようなんていうふうに思ったら、お互いにちょっと、逆に明日からもっと距離を置くかもしれなかった(笑)。
寛一郎 : そうですね。逆に形式上の話ができてしまうというか。共通する部分というのはわりとある。共通する部分というのは、言ってることが分かってしまうし、理解ができてしまう部分があって、あとは木の根っこの部分があって、幹があって、葉っぱの部分ですよね。その葉っぱの部分というのは、各々の先天的なものじゃなくて、後天的に培ってきた何かの思想の違いというのは、あるんでしょうけど。
― その物言い、似てるね(笑)。2人とも対するのが難しいんですよ。打ち合わせとか。「えっ、葉っぱ?」って、いきなり比喩的になったりして。
佐藤 さとう浩市 こういち (60歳)/ 俳優
父に俳優・三國連太郎を持つ。1980年にNHK『続・続事件』でデビュー。
1994年『忠臣蔵外伝 四谷怪談』、2016年『64-ロクヨン-前編』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。
映画人であることにこだわり、映画を中心に活躍している。
寛一郎 かんいちろう (24歳)/ 俳優
父に俳優・佐藤浩市を持つ。映画好きだったが俳優の道に進むことは考えておらず、
俳優になることを決意したのは18歳のとき。2017年に俳優デビュー。
映画やドラマで活躍し、今、注目を集める若手俳優。
聞き手: 阪本 さかもと順治 じゅんじ (62歳)
日本を代表する映画監督。2011年『大鹿村騒動記』で佐藤浩市と三國連太郎の共演作を監督。
2020年『一度も撃ってません』で佐藤浩市と寛一郎の共演作を監督した。
2000年の『顔』で日本アカデミー賞最優秀監督賞など受賞。2002年佐藤浩市主演『KT』も話題を呼んだ。
※年齢は2021年1月現在です
~ 親から子へ受け継ぐ想いの、そのそばで。 ~