「物価上昇率減速局面、終了へ」

2022年3月25日

「米マクドナルドがロシアの店舗を一時閉鎖へ」――。

2月24日にロシアのウクライナ侵攻が開始し、国際金融市場は大きく動揺しています。現在、金融市場の先行きを考えるうえで、ロシアのウクライナ侵攻がもたらす影響が最も注目されています。そんななかで、3月8日に飛び込んできたのが冒頭のニュースです。反射的に、「マクドナルドがチェーン展開されるほど発展した国の国民は戦争をしたがらない」という理論を思い出しました。

東西冷戦終結後に物価上昇率は減速

この「マクドナルド理論」は、2000年に出版された『レクサスとオリーブの木』(トーマス・フリードマン著)で提唱されたものです。今年のロシアによるウクライナ侵攻以前に、既にこの理論は破られているものの、冒頭のニュースは、1989年の東西冷戦終結以降の世界秩序が大きく変化し始めた象徴のように感じられました。

冷戦終結後の世界を振り返ると、1990年代に軍事技術の民間転用が進みIT産業が急速に発展したほか、製造業は生産拠点の選択肢が拡大し低賃金の労働力を利用しやすくなりました。また、ベルリンの壁崩壊に象徴されるように、人やモノの移動の点でも、自由に通行できる領域が拡大しました。これら、特に生産拠点のグローバル展開は、労働コストの低下を通じて物価上昇率の抑制の主要因になったと考えられます。

実際、世界の物価上昇率はどのように変化したでしょうか。図1は、経済協力開発機構(OECD)の加盟国全体の経済成長率と物価上昇率の推移を示したものです(ちなみに、OECD加盟国は欧州諸国を中心に日米などの先進国38カ国です)。1973年と79年の2度のオイル・ショックを経て、1980年代の消費者物価上昇率は平均11.1%でした。その後1990年代は6.2%、「世界の工場」として中国が急発展した2000年代は2.6%、2010年代は1.9%まで低下しています。

(図1)OECD全体の景気・物価(前年比%)

表1

(出所:Datastreamのデータより作成)

物価上昇率の低下要因は冷戦終結だけ、とまでは言えませんが、財やサービスを産み出すために必要なコストが冷戦終結前後を機に変化していることが図1から見て取れます。

ロシアのウクライナ侵攻で逆回転へ

しかし、東西冷戦が終結して31年が経過しすっかり忘れ去られていた「鉄のカーテン」という言葉が思い出されます。2月24日にロシアのプーチン大統領は「ウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指す」と発言していますが、北大西洋条約機構(NATO)との緩衝地帯としてウクライナを親ロシア化することを狙っているのではないかと分析する向きもあります。これは東西冷戦の構図を思い起こさせます。

冒頭の米マクドナルド一時閉店は、経済の東西分断の兆しかもしれません。そうなると長期的には、1989年以前の高い物価上昇率時代へ戻る可能性が懸念されます。

足もとでは、紛争に阻害されてロシア・ウクライナから小麦が輸出できなくなる懸念や、ロシア産原油の供給制約を警戒し、小麦価格や原油価格が急騰しています(図2参照)。これは、長期的な物価上昇の加速というよりは、短期的な供給懸念を反映したものと思われますが、警戒すべき動きです。

(図2)国際商品市況~原油と小麦

表2

(出所:Bloombergのデータより作成)

長期的なインフレ期待は安定

では、長期的な物価上昇率はどのように予想されているのでしょうか。

図3は、米国債の名目金利(利付国債利回り)と実質金利(物価連動国債利回り)から算出した期待インフレ率の推移です。5年の期待インフレ率は、5年物国債から算出し、足もとから今後5年間を対象としています。5年先5年の期待インフレ率は、5年物・10年物の国債から算出したもので、5年後を始期として10年後までの5年間を対象としています。

(図3)米国債市場が織り込む期待インフレ率
(名目金利と実質金利より算出、%)

表3

(出所:Bloombergのデータより作成)

中短期である5年の期待インフレ率は3.0%を超えて上昇してきていますが、中長期である5年先5年の期待インフレ率は変化幅が比較的小さく、足もとではやや上昇したとはいえ2%前後にとどまっています。つまり、国債市場参加者は、長期的に物価上昇率が押し上がっていくことを現時点では見込んでいないようです。

しかし、足もとのロシアのウクライナ侵攻だけでなく、2018年に始まった米中貿易摩擦そして米中ハイテク覇権争いを考慮すると、単に冷戦時代に回帰するのではないかもしれません。物価上昇率はかつてほど加速しない可能性もあります。しかし、世界における経済取引の「摩擦係数」は上昇方向へ変化するのではないでしょうか。今は、低い物価上昇率・低い金利を前提に動いてきた金融市場が大きく変化する転換点にあるかもしれません。保有する金融資産の価値を長期的にどのように防衛するか、新たな視点で再考する時に来ているようです。

(三井住友信託銀行マーケット企画部 瀬良礼子)

《本資料は執筆者の見解を記したものであり、当社としての見通しとは必ずしも一致しません。本資料のデータは各種の情報源から入手したものですが、正確性、完全性を全面的に保証するものではありません。また、作成時点で入手可能なデータに基づき経済・金融情報を提供するものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。投資に関する最終決定はお客様ご自身の判断でなさるようにお願い申し上げます。》

執筆者紹介 瀬良 礼子

執筆者紹介 瀬良 礼子 せらあやこ

三井住友信託銀行マーケット・ストラテジスト

1990年に京都大学法学部卒業後、三井住友信託銀行に入社。公的資金運用部にて約6年間、受託資産の債券運用・株式運用・資産配分業務に携わった後、総合資金部で自己勘定の運用企画を担当。以後、現在にいたるまで、為替・金利を中心にマーケット分析に従事。

執筆者関連書籍のご紹介
「投資家のための金融マーケット予測ハンドブック(NHK出版)」
「60歳までに知っておきたい金融マーケットのしくみ(NHK出版)」

※NHK出版のWEBページに移動します。

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