「日銀と家計の物価に対する見方の格差」

2022年6月24日

「家計の値上げ許容度も高まってきている」――。

6月6日の黒田日銀総裁のこの発言に対し、「生活実態を見ていない」と批判が集中したことで、総裁は発言撤回に追い込まれました。参議院選挙が近いせいでしょうか、批判の声は、野党だけでなく与党自民党からも上がりました。

日銀と市場の物価見通し

日銀は「2%の物価安定目標」を目指して2013年4月に異次元緩和を開始しましたが、消費者物価指数(CPI、除く生鮮食品)の前年比上昇率が消費増税要因以外で2%を超えたのは、2022年4月が初めてです(図1参照)。

米国やユーロ圏のCPI上昇率は8%を超えており、FRB・ECBはインフレ抑制に軸足を移して金融緩和の縮小あるいは金融引き締めへ舵を切っていますが、黒田総裁は金融緩和を粘り強く続けると発言し、日銀の緩和姿勢が際立っています。図1に示したように、日銀政策委員の物価見通しは、2022年度こそ2%近くに高まるものの、2023年度以降は1%前後へ減速しており、「2%の物価安定目標」の達成が見通せないことが背景にあります。

(図1)日銀の物価見通しと市場の期待インフレ率

(出所:日銀・Bloomberg・QUICKのデータより作成)

日銀の金融政策運営方針は、次のように設定されています。
①2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続する。
②マネタリーベースについては、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、拡大方針を継続する。

現在は、長期金利(10年金利)が-0.25~+0.25%の範囲となるように国債購入を実施していますが、①の「2%の物価安定目標」を安定的に持続できると判断されれば、長期金利の上昇を許容する方向へ舵が切られる可能性が高いでしょう。

しかし、現在は長期金利の上限がしっかり押さえられているため、図1の国債利回りに織り込まれている期待インフレ率は1%前後と、日銀の2~3年後の予想と同程度になっています。同様に、市場参加者の予想インフレ率も1%前後で、日銀と市場の物価予想には大きな差は無いようです。

日銀と企業・家計の物価見通し

では、撤回されたものの黒田総裁が一度は「値上げ許容度が高まっている」と発言した家計は、物価をどのように予想しているでしょうか。
図2は、企業と家計の5年間平均の物価上昇率の見通しです。直近データは2022年3月調査のものです。

 
(図2)企業・家計の中期的な期待インフレ率

(出所:日銀のデータより作成)

企業は1.6%上昇を予想しており、2020年を底にやや加速し、日銀政策委員よりもやや高めになっています。家計はそれよりもかなり高く、平均では5.1%、中央値では3.0%と、日銀の物価安定目標2%を上回っています。ただし、家計の物価予想の過去の推移を見ると上振れする傾向が見て取れ、高めのバイアスがあることを考慮する必要があります。

日銀は国民の物価高警戒に寄り添えるか

最近のCPI上昇の主な要因は、エネルギーや食料の価格上昇です。生活必需のものが多いため、賃金上昇が物価上昇に追いつかないなかで、家計が圧迫されています。日銀の物価見通しと家計の物価見通しにはかなり格差があり、日銀からのメッセージは国民からは実感に沿っていないと思われるのではないでしょうか。

このように日銀が国民の実感に寄り添えないことへの不満が高まると、家計の消費支出が冷え込み、景気が悪化するかもしれません。一般的に、円安や金融緩和は景気にはプラスに働くため、楽観シナリオは否定できません。しかし、今年に入り大幅に進行した円安による物価押し上げの影響が来年度も残る可能性があり、物価高の下での景気悪化のシナリオも軽視できないでしょう。

(三井住友信託銀行マーケット企画部 瀬良礼子)

《本資料は執筆者の見解を記したものであり、当社としての見通しとは必ずしも一致しません。本資料のデータは各種の情報源から入手したものですが、正確性、完全性を全面的に保証するものではありません。また、作成時点で入手可能なデータに基づき経済・金融情報を提供するものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。投資に関する最終決定はお客様ご自身の判断でなさるようにお願い申し上げます。》

執筆者紹介 瀬良 礼子

執筆者紹介 瀬良 礼子 せらあやこ

三井住友信託銀行マーケット・ストラテジスト

1990年に京都大学法学部卒業後、三井住友信託銀行に入社。公的資金運用部にて約6年間、受託資産の債券運用・株式運用・資産配分業務に携わった後、総合資金部で自己勘定の運用企画を担当。以後、現在にいたるまで、為替・金利を中心にマーケット分析に従事。

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