「土俵際のイールドカーブ・コントロール」

2023年1月26日

「長期金利の変動幅を『±0.5%程度』に拡大する」――。

2022年12月20日、日銀はイールドカーブ・コントロール(YCC)の運用を見直し、長期金利の変動幅をそれまでの±0.25%程度から±0.5%程度へ拡大しました。これを受けて、12月20日の日本の10年国債利回りは一時0.46%まで上昇、日経平均株価の終値は前日比669.61円安、ドル円相場は137円台から130円台へと約7円の円高に振れました。

黒田日銀総裁のびっくり大作戦

2016年1月29日のマイナス金利導入の際もそうでしたが、黒田東彦日銀総裁は金融市場にサプライズを与える決定をする傾向があると、それなりに認識されていました。長期金利変動幅拡大についても、昨年9月22日に「変動幅を拡大すると金融緩和の効果が阻害されてしまって政策目的は実現できない」と述べ、その後も変動幅拡大を匂わせるような姿勢はなかったので、12月20日のYCC見直しに金融市場は驚いて急変しました。

なお、今回のYCCの運用見直しについて、日銀は金融政策の変更とはしておらず、「運用の見直し」と位置づけています。しかし、図1に示したように、2022年に10年国債利回りは変動幅上限の0.25%に張り付いた状況にあったところに変動幅が拡大され、重石がとれたように急上昇しました。市場で決まる長期金利は上昇したがっていたのに、日銀が0.25%より上昇しないように操作していたところを、0.5%まで上昇することを容認したわけですから、これを市場参加者が「事実上の利上げ」と捉えたのも肯けます。

(図1)日本の金利動向

(出所:Bloombergのデータより作成)

ところで、今回のYCC運用見直しのポイントを日銀の説明資料から要約すると、以下の2点にまとめられます。

  • ● 見直しの理由海外の金融市場の変動が拡大している影響で、日本の債券市場の機能が低下し、企業の借り入れなどに悪影響が出る恐れがある
  • ● 見直しの目的金融緩和の効果がより円滑に波及し、金融緩和の持続性を高める

「事実上の利上げ」に見えるにも関わらず、今回の見直しで「金融緩和の持続性を高める」というのは、どういうことなのでしょうか。

実は今回の見直しには、長期金利の変動幅拡大だけでなく、国債購入予定額の増額が含まれています。それまでの月間7.3兆円から9兆円程度へ増額されました。長期金利の変動幅拡大のインパクトが大きかったので、国債購入増加はあまり注目を引きませんでした。それにしても、これが自動車の運転でアクセルとブレーキを同時に踏むような状況に見えるのは筆者だけでしょうか。ある意味、これも「びっくり」と言えるかもしれません。

市場に押し切られたYCC見直し

金利の変動要因として重視されるのが景気と物価です。読者の皆さんも実感されているように、2022年は消費者物価上昇率が3%を超え、もはやデフレとは言えないような状況です。物価上昇率が押し上がると、景気がさほど良くなくとも市場で決まる金利には上昇圧力がかかります。

図1には、日銀のコントロールがやや弱い7年国債利回りの推移も示していますが、2022年に10年国債利回りに接近する形で上昇したことが見て取れます。これは金利上昇を求める市場の圧力と捉えることができます。世界的な物価上昇、米欧中銀の大幅利上げ、円安などを背景に、日銀のYCCは市場の圧力により土俵際に追い詰められていたと整理できるしょう。

しかし、日銀は「2%の物価上昇を安定的に持続するために必要な時点まで『長短金利操作付き量的・質的金融緩和』を継続する」という方針を堅持しており、さらに、黒田総裁は「賃金上昇を伴う物価目標を安定的に実現するまで金融緩和を続ける」と言明しています。

土俵際に追い詰められたYCCですが、日銀は「長期金利をゼロ%程度にする」との方針は変えず、容認変動幅を拡大することで市場からの圧力を逃そうとしたのではないでしょうか。長期金利の変動幅拡大は「徳俵」とも言えるかもしれません。

賃金上昇の動きが広がるかどうか注目

デフレが深刻化した1990年代後半以降、デフレから脱却しきれておらず、日銀は金融緩和縮小で再びデフレに戻ることを非常に警戒している模様です。2013年4月に「量的・質的金融緩和」を導入して以来、国債全体に占める日銀の保有割合は11.5%から昨年9月には50.3%へ拡大していますが、それでも国債購入を増額する方針を示したことには悲壮感すら覚えます。

YCCの修正あるいは撤廃の鍵は、黒田総裁が言及したように賃金上昇率でしょう。図2は、日本の賃上げ率とCPI上昇率の推移を示したものです。なお、グラフの春季賃上げ率は厚生労働省が集計した主要企業の平均なので、日本全体よりは高めに出ていることに注意が必要です。

(図2)日本の賃上げ率とCPI上昇率(前年同期比%)

(出所:INDB-Accelのデータより作成)

バブル期の1980年代後半を見ると、春闘賃上げ率はCPI上昇率を大きく上回り、4~6%程度でした。2000年以降の賃上げ率は2%前後が続いているため、今年の3月に春闘の主要企業回答が少なくとも3%はないと、物価安定に向かっているとは判断されないでしょう。一方、賃上げ率が5%まで行けば、日銀にYCC修正の正当な理由を与えると考えられます。

10年国債利回りは2023年に入り変動幅上限の0.5%で推移することが多くなっており、YCCは早くも「徳俵」に足をかけているのかもしれません。今年4月に日銀総裁が交代するタイミングにも近いため、今年3月の春闘への注目度が俄然高まります。

(三井住友信託銀行マーケット企画部 瀬良礼子)

《本資料は執筆者の見解を記したものであり、当社としての見通しとは必ずしも一致しません。本資料のデータは各種の情報源から入手したものですが、正確性、完全性を全面的に保証するものではありません。また、作成時点で入手可能なデータに基づき経済・金融情報を提供するものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。投資に関する最終決定はお客様ご自身の判断でなさるようにお願い申し上げます。》

執筆者紹介 瀬良 礼子

執筆者紹介 瀬良 礼子 せらあやこ

三井住友信託銀行マーケット・ストラテジスト

1990年に京都大学法学部卒業後、三井住友信託銀行に入社。公的資金運用部にて約6年間、受託資産の債券運用・株式運用・資産配分業務に携わった後、総合資金部で自己勘定の運用企画を担当。以後、現在にいたるまで、為替・金利を中心にマーケット分析に従事。

執筆者関連書籍のご紹介
「投資家のための金融マーケット予測ハンドブック(NHK出版)」
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