第82回 トラス・ショックと骨太ショック:相違点多いが市場はパターンを意識する
2026年7月29日
「『骨太ショック』として報じられているところがあるのは事実」――。
片山さつき財務相が7月10日の閣議後会見で、日本の長期金利が30年ぶりの水準に上昇していることについてこのように発言しました。
長期金利の大幅上昇
日本の10年国債利回り(長期金利)は今年7月9日に一時2.90%まで上昇しました。これは1996年9月以来の高水準で、2025年末の2.06%からは0.84%ポイントの大幅上昇となりました。ちなみに、長期金利の過去最低水準は10年前の2016年7月につけたマイナス0.30%でした。
この7月上旬の長期金利上昇の一因として、6月30日の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針2026)」の原案公表が指摘されています。6月末から7月9日までに長期金利が最大0.23%ポイント上昇したことを、経済メディアが「骨太ショック」と表現したことで、広く使われるようになりました(図1参照)。
「骨太の方針2026」の原案では、高市政権が提唱する「責任ある積極財政」のもとで2040年度までに370兆円超の戦略分野への投資が示されたほか、「財政健全化」の表現がなくなり「財政の持続可能性」が強調されました。加えて、日銀に「適切な金融政策運営を行うことを期待する」と記述されたことで、政府による日銀への利上げ抑制圧力ではないかと金融市場が受け止めました。これにより、日銀の利上げが遅れることで物価上昇に歯止めがかからないことが警戒され、長期金利の上昇につながったと見られています。
しかし、冒頭の発言の際に片山財務相は「GPIFをはじめとする年金基金に、日本の金融資産にさらなる投資をしていただく後押しをする方策を追求したい」とも述べ、国内債券への投資が拡大するとの連想から長期金利は低下、外為市場は円高で反応しました。ちなみに、GPIFとは年金積立金管理運用独立行政法人のことで、日本の公的年金基金を運用しており、運用資産は2026年3月末時点で293兆円と世界最大級の機関投資家の一つです。この巨大基金の運用について片山財務相が言及したわけですが、このところの円安や債券安(=長期金利上昇)をけん制する意図が感じられます。
2022年のトラス・ショック
日本の「骨太ショック」は小康状態に入っているように見えますが、まだ予断を許しません。金融市場参加者が意識する過去の事例として「トラス・ショック」があります。「トラス・ショック」とは、2022年9月に、当時のリズ・トラス英首相が大型減税や光熱費高騰対応のための財政支出拡大方針を打ち出したことで英国ポンドが急落し、長期金利は急上昇(英国債は急落)したことを指します。
もちろん、今年7月の日本が「トラス・ショック」のような状況に陥っているわけではありません。図1に2026年6月以降の日本円・長期金利の推移を、図2に2022年9~10月の英国ポンド・長期金利の推移を示しました。長期金利急上昇のきっかけになった日本の骨太方針原案や英国の大型減税策の公表タイミングもグラフ中に示してあります。
(出所:Bloombergのデータより作成)
(出所:Bloombergのデータより作成)
「トラス・ショック」では、9月1日に比べてポンドの対ドルレートは一時約10%下落し、英国の長期金利は同じく1.71%ポイント上昇しました。これに対し、「骨太ショック」では為替相場も長期金利も変化の大きさが限定されていることがわかります。
また、「トラス・ショック」では株式市場も急落し、通貨・債券・株式の3つがそろって下落する「トリプル安」が発生しました。財源の裏付けが不十分な大型減税策により、金融市場が政府への信認を失ったことが、「トリプル安」の形で顕在化したわけです。
日本株も7月に入り下落してはいますが、「骨太の方針2026」原案公表の翌日の7月1日に日経平均株価は一時1900円ほど上昇するなど、「骨太ショック」は「トリプル安」には至ってないようです。
日英の2つの収支を比較する
金融市場の動きだけではなく、経済ファンダメンタルズについても日本と英国では差異があります。図3は、日英の財政収支と経常収支を比較したものです。財政収支は政府部門の収支で、経常収支は各国全体の海外部門に対する収支にあたります。
(名目GDP比%、2025~26年はOECD見通し)
(出所:OECDのデータより作成)
2022年の英国は、財政赤字と経常赤字という「双子の赤字」を抱えていたことがわかります。政府部門の財政赤字を何らかの手段で調達した資金で埋める必要があるのですが、経常収支が赤字であるため、国全体としては海外からの資金調達に頼らざるをえない状況でした。つまり、英国債は海外部門の保有が多いことを意味します。
一方、足もとの日本は財政赤字ではありますが、経常収支は黒字で海外からの資金調達に頼らなくてもよい状況にあり、日本国債の海外部門保有はあまり多くありません。この点は「トラス・ショック」と「骨太ショック」の大きな相違点といえるでしょう。
しかし、財源の裏付けなき財政拡大策は市場参加者に「トラス・ショック」を連想させ、当時の各市場の動きは同様の事態が発生した際の前例としてかなり意識されていると思われます。今回の「骨太ショック」は「トラス・ショック」とはかなり様相と異にしていますが、日本の「責任ある積極財政」の中身を見極める際には、「財源の裏付け」というキーワードをしっかりと覚えておきましょう。
(三井住友信託銀行マーケット企画部 瀬良礼子)
執筆者紹介
瀬良 礼子(せら あやこ)
三井住友信託銀行上席理事
1990年に京都大学法学部卒業後、三井住友信託銀行に入社。公的資金運用部にて約6年間、受託資産の債券運用・株式運用・資産配分業務に携わった後、総合資金部で自己勘定の運用企画を担当。以後、現在にいたるまで、為替・金利を中心にマーケット分析に従事。
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