数字で読み解く「令和」と「昭和」の丙午(ひのえうま)年
2026年1月15日
今年、令和8年(2026年)は、丙午(ひのえうま)年です。
干支は、十干(甲・乙・丙…)と十二支(子・丑・寅…)をそれぞれ順番に並べた組み合わせなので最小公倍数である60年で一巡します。「丙午」は、十干の「丙(ひのえ)」と十二支の「午(うま)」が重なる年で、今年60年ぶりに巡ってきました。
日本には昔から「丙午に生まれた女性は気性が激しく夫を不幸にする」といった迷信があり、前回、昭和41年(1966年)の丙午年には実際に出生数が大きく減少しました(図表1)。
| 和暦 | 西暦 | 出生数 | 合計特殊出生率※ |
|---|---|---|---|
| 昭和39年 | 1964年 | 171万7000人 | 2.05 |
| 昭和40年 | 1965年 | 182万4000人 | 2.14 |
| 昭和41年 | 1966年 | 136万1000人 | 1.58 |
| 昭和42年 | 1967年 | 193万6000人 | 2.23 |
| 昭和43年 | 1968年 | 187万2000人 | 2.13 |
(図表1)昭和41年丙午年は「出生率の谷」
(出所)国立社会保障・人口問題研究所『人口問題研究』および厚生労働省統計情報部『人口動態統計』より
※一人の女性が一生の間に出産する子供の人数。これが人口置換水準(先進国の場合、約2.07前後)を長期的に下回ると、その国および地域の次世代の人口が自然減する
今の若い世代の方からすると「そんなことで出生数が減るの?」と奇妙に思われるかもしれませんが、出生率をみるとあきらかに前後の年と比べて「谷」になっています。ちなみに筆者の私もこの昭和41年生まれですので、まさに「丙午の当事者」として、このテーマには人一倍の思い入れがあります。
今回は、昭和41年と令和8年の2つの丙午年について数字で比較しながら、日本社会の変化を振り返ります。そして、人生100年時代を生きる私たちが、どのように資産形成を考えるべきかを整理してみます。
1966年 昭和の丙午は「高度経済成長」、そして「貯蓄は美徳」の時代
当時がどんな時代であったかを振り返ってみます。
日本は高度経済成長のただ中にありました。実質GDP成長率は10.6%で、輸出拡大や設備投資が牽引していました。
消費者物価指数(CPI)も、前年比で約4.4%上昇しインフレ基調でした。高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の比率)は約6%と、現役層が大部分を占める「若い国」だったのです。
家族の標準像としては、「夫が稼ぎ、妻は専業主婦」であり、共働きは少数派でした。企業は終身雇用と年功序列を基盤とし、定年は55歳が一般的で、退職後は嘱託として数年働き、退職金と厚生年金を受け取り、子どもと同居して余生を過ごすという人生設計が一般的でした。平均寿命は男性68歳、女性74歳程度であり、老後は短く、年金は「余生のサポート資金」としての役割が主でした。公定歩合は5%台後半でしたので、資産形成も高金利の定期預金(6カ月もので年6%程度)や財形貯蓄が中心で、「貯金すれば増える」という時代でした。金融教育はほとんど存在せず、「貯蓄は美徳」が王道でした。まさに「預けておけば勝手に増える」時代だったわけです。
2026年 令和の丙午は「少若多老」と「多様な制度」の時代に
この60年で高齢化と少子化が進行しました。総務省統計局のデータによると1966年の「若かった日本」は、1970年に高齢化社会(高齢化率7%以上)、1994年に高齢社会(同14%以上)、2007年には超高齢社会(同21%以上)に突入し、2025年時点で29.4%と過去最高かつ世界最高になりました。
出生数は70万人を割り込み、合計特殊出生率は1.15前後と過去最低水準です。加えて、平均初婚年齢は夫31歳、妻30歳前後と晩婚化が進み、婚姻件数も減少傾向にあります。生産年齢人口(15~64歳)は1995年の8,726万人をピークに減少し、足元で7,046万人になっています。少子化は、「一過性の谷底」ではなく、「構造的な人口減少」として社会の基盤を変容させています。
その結果、令和8年(2026年)の日本は大きく姿を変えています。
経済面では、日本銀行などの見通しによると、人口減少と生産性伸び悩みが背景となり、経済成長率は1%前後に低下しました。消費者物価指数は、2020年比で約12%上昇しています。近年はエネルギー価格や賃金上昇を背景に緩やかなインフレ傾向にあります。
一方、女性の社会進出は大きく進展しました。大学進学率は男女ほぼ同水準となり、多くの企業や政治の場で女性が活躍し、社会的ロールモデルが形成されています。
共働き世帯は多数派となり、専業主婦世帯は少数派に転じました。副業や兼業も制度的に認められ、働き方は柔軟かつ多様になりました。
企業の定年は65歳が標準となり、70歳までの就業機会確保が努力義務化され、人手不足を背景に定年延長や定年廃止を進める企業も増えてきています(かつて「55歳で定年」と聞いていた世代からすれば、「退職してから更に10年、働きなさい」といわれているように感じられるかもしれません)。人生はマルチステージ化し、第1幕、第2幕だけでなく第3、4幕まで続くようになりました。
平均寿命は男性81歳、女性87歳に延び、「人生100年時代」が現実のものとなってきました。それゆえ、長くなった老後に対応するため、年金収入だけではなく就労延伸(勤労収入)や資産形成(資産収入)の活用が大変重要になってきています。
公的年金制度も変わりました。全国民を対象とする国民年金と厚生年金には、制度の持続可能性と世代間の公平性を確保するマクロ経済スライドが導入されました。支給開始年齢は原則65歳となりましたが、繰上げ受給は60歳から、繰下げは75歳まで選択できる形になりました。また、老後生活の支えとしての退職給付制度も、確定拠出年金(DC)など企業年金への移行や多様化が進みました。かつては「年金をもらい始めて数年たてば天寿を全う」といわれていましたが、今は「年金受給を開始してからの30年をどう生きるか?」という時代です。まさに、個人が主体的に老後資金を設計する時代が到来しています。
資産形成の制度も大きく拡充されました。新NISAやiDeCoといった制度が整備され、個人の投資も少額から長期・積立・分散ができるようになり、家計の標準装備となりつつあります。金融教育も学校教育に組み込まれ、企業や団体における社会人向けの金融リテラシー研修が普及してきました。その結果、かつての「貯金すれば増える」から、「投資を通じて資産を育てる」時代へ移り変わろうとしています。昭和の「退職金で家のローンを完済し、年金受給が始まればすればライフイベントは完了」から、令和の「NISAやiDeCoで老後を支える」への転換ともいえそうです。
120年前の丙午 明治人の人生は“半分”だった?
ここで、120年前、明治39年(1906年)の丙午も見ておきたいと思います。当時の人口は約5,000万人。平均寿命は40歳前後(男性:約42歳、女性:約43歳前後)で、乳幼児死亡率が非常に高く、平均寿命を大きく引き下げていた時代でした。人口構成は15歳未満人口が35%前後、労働人口(15~64歳)が60%前後、65歳以上人口は5%未満でした。
当時の明治人の人生は今の“半分”でした。しかし、この120年で寿命は2倍になりました。人類の悲願だった「長寿」が現実になり、可能性も選択肢も広がりました。だからこそ、今は「何をしたいか」「誰と過ごすか」「どう実現するか」を主体的に考える時代です。
一人ひとりが自分のミライをデザインする時代
日本の社会は「人口構造の逆転」と「成長率の縮小」を経験し、制度は多様になり、個人の家計における資産形成の重要性が格段に増していることが理解できます。
昭和の丙午は迷信で出生率が大きく変わる時代でしたが、令和の丙午において、私たちは公的年金、退職金、社会保障、NISAなど厚みのある多様な制度を活用することができます。また、金融教育を受ける機会も整備されてきています。自らのミライを主体的に設計する手段を持つ時代となりました。
「人生100年時代」は長くなった老後をどう生きるかという課題を突きつけますが、それに対して、私たちは「各種制度をスマートに使いこなしながら、我が家のライフプラン・マネープランを策定し、かつ実践していくこと」で課題に向き合っていくことができます。
令和の丙午は将来に向けて「自らをデザインする」で動く年です。多様な制度と金融教育を味方にして、「よし、いい年になりそうだ!」という思いでぜひスタートを切っていただきたく思います。
「三井住友トラスト・資産のミライ研究所」は、人生100年時代に適応した資産形成や資産活用に関する調査・研究を中立的な立場で発信することを目的として、2019年に三井住友信託銀行内に設置した組織です。人生100年時代を安心して明るく過ごすために、資産形成・資産活用に関する情報をホームページや書籍を通してお届けしています。
執筆者紹介
丸岡 知夫(まるおか ともお)
三井住友トラスト・資産のミライ研究所 所長
1966年 丙午年生まれ。1990年に三井住友信託銀行に入社。確定拠出年金業務部にてDC投資教育、継続教育のコンテンツ作成、セミナー運営に従事。2019年より現職。ウェルビーイング学会会員 ファイナンシャル・ウェルビーイング分科会員。
『「金利がある世界」の住まい、ローン、そして資産形成』(金融財政事情研究会、2024)等の著書、論考多数。